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【即納!最大半額!】 女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)、柏木への返事の手紙を書かれる「源氏物語」柏木の巻・大炊御門宗氏/自筆/茶道7B その他
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柏木 女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室+apple-en.jp
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紙本墨書正親町天皇宸翰女房奉書(理性院宛) 文化遺産オンライン
最新のクチコミ
近くのお店ではのどぐろは手に入りません。開きですが、おいしさが凝縮しているんじゃないかと楽しみです。
- note1161
- 21歳
- アトピー
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購入品
ほぼ皮でした。ちょうど焼いた食パンに薄くイチゴジャムを伸ばしたような感じで身がついています。 大量に購入してしまい、どうしよう・・・・(´Д` )
- shin-hashi
- 29歳
- アトピー
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購入品
今回は夫が好きな肝焼きをバラで購入できますので注文しました。今までは、丑の日でも肝焼きはスーパーで買っていましたので、扱ってくれるとありがたいです。
- めぐすん1214
- 37歳
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購入品
真ホッケと縞ホッケの特大サイズのコラボ。 ホッケの味が濃厚な真ホッケ、脂が乗ってふっくらジューシーな縞ホッケ。 どちらも捨てがたい、しかし全く味わいの違うホッケバトル。 一緒に楽しむに限ります!
- sgsubaru
- 25歳
- アトピー
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購入品
リピですヽ(●´ε`●)ノ今回1980円以上 送料無料で購入できてよかったです♪このさんま ほんと大きくて食べごたえあるわー♪常温保存や し食べたい時にすぐ食べれるってのがいい★
- まき
- 33歳
- アトピー
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購入品
メール連絡も丁寧で、梱包もきちんとされていました。美味しい、とっても美味しいです!ぶつ切りすれば、お鍋に、から揚げに最高です。がおすすめです。 でもなかなか頼めないので今後もご利用させていただきます。
- MAINee
- 41歳
- アトピー
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購入品
私の近所のスーパーでは韓国産の鰆や各地のサゴシサイズの切り身が1切れ200円前後で売られていますが、去年こちらのお店で鰆を買ってからは、とても買う気にはなれなくなりました。 刺身で食べられる新鮮さ!新鮮だから焼いたりしても独特の鰆臭さが殆んどない!上品な脂ののりで身がしっとり!台所が全く汚れない下処理のきれいさ!それでいてお手ごろ価格! 待望の販売再開で期待以上のお品を購入できてとてもハッピーです。昨年は1尾買っても味噌漬けなどで冷凍し、冬が終わる前に2人世帯でぺろりでしたので、今年度はもう何尾かお世話になると思います。我が家の寒い時期を楽しくしてくれる商品、半身でも1尾でも買って損はないと思います。おすすめです♪
- マダムねぇさん
- 29歳
- アトピー
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購入品
最近鮭とばにハマり手が止まりません(笑) こちらはお得だし購入。 あっというまに(数日で)食べてしまいます。なかなか美味しかったです。 基本は、適度にカットしたものをそのまま唾液でゆっくり柔らかくしながら食べていますが、歯が良くないお年寄にと魚焼きであぶったらまた違って美味しかったです。すぐ固くもならないし皮もより美味しく食べることができました。 市販品に皮を揚げたものがあり食べたことがあるのですが美味しかったので、皮がそのままで抵抗がある場合、剥いで揚げ、天然塩少々でも良いかもしれませんね。
- kannnn48
- 37歳
- アトピー
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購入品
高級魚を使って、この値段はお得です。西京味噌の味もまろやかで、おいしく頂きました。
- akやん
- 45歳
- アトピー
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購入品
自筆「源氏物語」の「柏木(かしわぎ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「柏木の巻」の主人公「柏木」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う夕霧として描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は柏木(かしわぎ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。柏木の巻には、源氏の君の正室で朱雀天皇の皇女・女三の宮が「薫の君」を出産したことが主要なテーマ。薫の君の出産後、盛大な誕生を祝う産養(うぶやしない)の宮中行事が続く。しかし、柏木と女三の宮は暗然たる思いをかみしめている。女三の宮の生んだ「薫の君」が源氏の君の子ではなく、柏木との間に生まれた子供であるという秘密をかかえこんでいた。柏木な複雑な思いをかみしめながら体調をそこねている。女三の宮も生まれた子供のことを思い出家をしてします。病の床にあった柏木の元を友人の夕霧が見舞いに訪ね女三の宮との逢瀬の秘密をそれとなく話す。重体に陥った柏木は、正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の悲運を思い将来の後事を託す。柏木のなきあと、初夏に入ってまもなく夕霧は、柏木の正室・女二の宮を訪ねる。女二の宮付女房たちが、夕霧の凛々しさを見て、女二の宮との結婚を期待する。
自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節で、白楽天の連理の詩で有名です。漢詩の由来は、「ことならば、ならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと」との柏木の中の一文にあります。「葉守の神」とは柏木に宿る神。「葉守の神のゆるし」とは柏木のゆるしの意味上の句の「ならしの枝」(なれ親しむ枝)つまり連理の枝となってほしいという和歌です。「葉守の神」といえば落葉を防ぐ神である。葉守の神は落葉の宮と称された女二の宮を守る夕霧ということになる。柏木は自分の死後の女二の宮の行く末を友人の夕霧に託した。今度は夕霧が葉守を守る神になるという意味です。「在天願作比翼鳥」は、白楽天の連理の詩で有名であり、夕霧と女二の宮が天にあって連理の比翼の鳥として末長くはばたいてほしいという意味が落款に込められている。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
「柏木」の巻は英文で「The Oak Tree」と表記されます。
《自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
《「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。》
《とも、》・・・・きこえ給へ。いまさらに、人、「あやし」と、思ひあはせんを、
わか世の後さへ思ふこそ、くるしけれ。いかなる昔のちきりにて、いと、
かゝることしも、心にしみけん」と、なくなく、ゐさり入り給ひぬれは、
「れいは、いはむこにむかへすゑて、すゝろことをさへ、
いはせまほしうし給ふを、言少なにも」と思ふか、あはれなるに、
え出(て)やらす。御有樣を、乳母もかたりて、いみしう泣きまとふ。
おとゝなとの、おほしたる氣色そ、いみしきや。
「昨日今日、少しよろしかりつるを。なとか、いと弱けには、見え給ふ」
とさわき給ふ。「何か。猶、とまり侍(はへ)る・・・・《ましきなめり」》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」柏木(かしわぎ)の巻》
《女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)、柏木への返事のお手紙をお書きになる》
《お手紙の文字が乱れ書きにお書きになっているうちに、ますます気分がわるくなってきたので、
(柏木)「ではもうよい。あまり夜も更けぬうちに宮の御もとに帰られて、こんなふうにして
わたしの最後も迫っている様子だった、と宮(女三の宮・朱雀天皇の皇女)に・・・・・申しあげてくだされ。
今になって、人があれこれ思い合せて不審がりもしようと、消え去った後のことまで
案じられるとはつらいことです。どういう前世の因縁から、
ほんとにこのような執着心のとりこになってしまったのだろう」
と、督の君(柏木)が泣く泣くいざり入ってしまわれたので、小侍従(女三の宮付女房)は、
ふだんはいつまでも前にすわらせて、たわいもないむだ話までもさせたがっていらっしゃるのに、
今日はなんと言葉少ななと思うと、小侍従はおいたわしくて、すぐには立ち去る気にもなれない。
こうしたご容態を乳母(めのと)も小侍従に話して聞かせ、ひどく泣きうろたえている。
大臣などのご心痛のご様子はもうただ事ではない。
(柏木の父・大臣)「昨日今日は多少よろしかったのに、どうしてひどく弱々しそうにおなりなのか」
と落ち着きなく騒ぎたてておられる。衛門督(柏木)は、
(柏木)「いえ、もう。やはり助かりそうにも・・・・・《ございません」
とお申しあげになって、ご自身もお泣きになる。》
備考1・源氏の君の正室・女三の宮(朱雀帝の皇女)の生んだ「薫の君」は源氏の君の子ではなく、柏木との間に生まれた子供。その秘密が源氏の君の知るところとなり苦悩する柏木と女三の宮を記す。
備考2・女二の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。柏木は生前、友人の夕霧に女二の宮(落葉の宮)の行く末を遺言として託す。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《The Oak Tree(柏木)》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
Usually he kept her long after their business was finished,
but today he dismissed her briefly.
She was very sorry for him and did not want to go.
His nurse, who was her aunt, told Kojiju of his illness, weeping all the while.
Tono Chujo was in great alarm.
"He had seemed better these last few days.
Why the sudden change?"
"I cannot see why you are surprised," replied his son.
"I am dying. That is all."
《柏木》
世人要怪我何而死,真教我死后也很痛苦。
我前世不知作了什,以致今生有等痛心之事。”
他一面哭泣,一面膝行而去,回到病榻上。小侍从回想柏木从前和相,
是久坐,或竟以言,絮絮聒聒地无有尽期。
然而此次很少。得可怜,不忍立刻回去。
柏木的乳母也把柏木的病状小侍从听,
人都哭得很悲。大臣愁苦得更害,道:
“几天已稍稍好,何以今天又如此衰弱了?”
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真2枚が「源氏物語」柏木の巻の末尾(原本番号41-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「柏木の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(柏木の巻)MRI 36―7B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「柏木の巻」主人公・柏木の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる柏木。
病床の柏木を見舞う夕霧。左が柏木、右が夕霧。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「柏木」原本の17-Aの原本に記されております。紫式部が「柏木」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「柏木の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「柏木の巻」に用いられていることで広くしられている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「在天願作比翼鳥」(天に在りて願わくは比翼の鳥とならん)「天に在ってのお願いは比翼の鳥となることである」の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
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